キミと初めて逢ったのは十六夜。月を見上げるその横顔があまりに美しくて、俺はキミに恋をした。名前も知らないキミに、一瞬で、恋をした。
その夜、俺は幼馴染の鏡花と酒を飲み、ふらりふらりと気分よく歩いていた。まあ、代わり映えのしない、いつものこと。
冗談を言い合いながらの帰り道、見上げれば、十五夜を一日過ぎた月は、それでもまだ丸く満ちていて、夜道を明るく照らしてくれていた。
俺たちが小さい頃によく遊んだ公園の横を通りかかったとき、鏡花がいきなり足を止めた。
「何の、音?」
「ん?」
「ねえ、聞こえない?」
「何が?」
「誰かが、ブランコを漕いでる?」
「こんな真夜中にか?」
「そ、そうよね。そんなことあるはず…でも、たしかに聞こえる」
「お前、さては酔っ払ってるな?」
「酔っ払ってるのは良夜でしょ。でも…何だか気味が悪い」
「何だよ、鏡花。お前、怖いのか?」
「そ、そんなこと!こ、怖いわけないじゃない!」
「お前は、そういうところが可愛くないな~」
「大きなお世話よ。良夜に可愛いなんて思ってもらわなくてもいいし」
「ま、鏡花が可愛いとか、何の冗談だって話だよな」
そんな軽口を叩いていた俺の耳にも、今度はブランコを漕ぐ音がはっきりと聞こえた。
ハッとして鏡花と顔を見合わせ、俺たちは、その音の正体を確かめに公園へと入っていく。恐る恐る進んでいけば、ブランコを揺らしながら月を見る、キミがいた。
その瞬間、周囲の音が消え、時間が止まり、すべてが呼吸を止めた…。
それは多分、気のせいじゃない。あの刹那、世界は一枚の風景画となって、たしかに俺の心に焼きついた。永遠に消えないほど鮮やかに。
俺はただ、キミを見つめていた。呆けたように、ただ。
誰かが、いや、おそらく鏡花が俺の名前を呼んだ。けれど、それに応える気にはなれなかった。どれくらいそうしていただろう…。
「良夜、良夜ってば!」
鏡花に背中を叩かれ、我に返った俺は、ようやく動くようになった足をぎこちなく動かして、キミへと近づいていく。ミツバチが花に吸い寄せられるように、まっすぐキミへ向かう。
戸惑ったように鏡花が俺の名前を呼ぶ。けれど、振り向くことすらせず、俺はキミだけを見ていた。
もうすぐ手が届く…、とそのとき、キミが振り向いた。瞬間、その瞳がゆらりと揺れて、けれど、すぐに興味をなくしたように瞳から光が消え、視線はすぐにそらされた。
そしてキミはまた、月を見上げる。その横顔が儚くて、悲しくて、どうしようもなく愛おしくて。俺はもう、キミ以外のことを考えることができなくなった。
それから、俺は毎夜、公園に通った。キミに逢いたくて。
二日目の夜、何もしゃべれず、ただ、月を見るキミを見ていた。三日目の夜も、四日目の夜も同じ。それでも俺は、公園に通うことをやめなかった。
まるで夢遊病者だと、鏡花は言う。目を覚ましてほしいと。そんな鏡花が煩わしくて、俺はおせっかいな幼馴染を締め出した。
そして今夜も、公園へと向かう。
五日目の夜、俺はようやくキミの名前を知った。
「佳月」。誰もが見惚れてしまう月を表すその名前は、キミにぴったりだ。
けれど、キミの名前をつぶやいたあと、俺の言葉は続かない。何も言えず、これ以上近づくこともできず、このまま遠ざかることも、もちろんできずに、月を見るキミをただ、見つめている。
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