今夜も俺は、公園へと急ぐ。
「キィキィ」とブランコの軋む音がかすかに聞こえてきただけで、この胸はドクドクと脈づいた。鏡花の言う通り、俺はどこかおかしくなっているのかもしれない。
それでも構わなかった。キミに逢えるなら。俺はどんな代償だって払うつもりでいた。
キミを手に入れるために、キミ以外のすべてを手放せと言われれば、黙って従うだろう。
あぁ、そうか。やっぱり俺は、ずいぶんとおかしくなっているようだ。
その夜、俺がブランコに近づいていくと、キミはこちらを振り向きもせず、初めて俺に話しかけてきた。
びっくりして言葉をなくした俺などお構いなしに、こちらの答えなど期待すらしていないとでも言うように、キミはひとりごとのように語りだす。
「ねぇ、この場所に昔、何があったか知ってるかしら」
「え?」
「ここにはね、職人が住む長屋があったの。竹細工や寄木細工、人形師…。美しい布の花を咲かせるかんざしを作っている人もいたわ」
「いつの話?」
「そうねぇ、かれこれ180年くらい昔。江戸時代が末期に向かう頃だったみたい」
「江戸時代…? なぜ急にそんな話を?」
「180年も経てば、見える風景も、生きている人たちも、まったく変わっているの」
「それは…そうだろうね。江戸時代なんて、俺たちには歴史の中のことで、本当にそんな時代があったのか、正直、確信が持てないくらいだから」
「私は何も変わっていないのに。この姿も、心も、髪に挿したかんざしさえも、何ひとつ変わっていないのに」
「その…かんざしは…水月の?」
その言葉に、キミが振り向く。
初めてしっかりと俺を映したキミの瞳は、驚きに見開かれ、そのまま吸い込まれていきそうになった。
何か言いたげに、でも、何を言っていいのかわからない様子のキミは、そのまま俺をじっと見つめていた。その事実に、俺の鼓動はこれ以上もう早くなれないほど、ドクドクドクと高鳴る。
このまま、時が止まればいい。この世界に、俺とキミ以外に何もなくなって、ただこの時間が、永遠に続けばいい。そう願ったけれど…。
「あなたは、水月さまをご存知なのね?」
そう言ったキミの瞳に、俺はもう映っていない。月だけがそこにあった。
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