「姫さま、どうして…」
「ねぇ、月魄。月の宮と地の国とでは、時間の進みが違うのね。月の宮の一日が、地の国では一年にもなるの。あなたは知っていた?」
「知らなくて…私。何も知らなくて!」
「月の宮で過ごしたのはわずか半年。それが、地の国では180年もの年月が流れてしまったなんて…」
「では、かのお方は、もう…」
「そうね。あのお方は、水月さまはもうここには、いない。もう、逢えない…」
「姫さまは、これからこの地の国で、かのお方のいないこの世界で、生きていくのですか」
「えぇ、もう、月の宮には戻れないもの」
「そんな…、そんなの、悲しすぎますっ!」
「月魄、私の代わりに、泣いてくれてありがとう」
「姫、さまぁ」
「大丈夫よ、月魄。水月さまは、最期まで私を信じていたと、待っていたと、教えてくれた人がいるのです」
「あの、いつも公園に来て、姫さまのそばにべた~っと張り付いていた殿方ですか?」
「そう、その方がね、私に教えてくれたの。水月さまの生涯を」
「まさか、水月さまの子孫なのですか?」
「いいえ、水月さまは生涯独身だったそうよ。ひとり、かんざしを作り続けて、次にはもっと良いものを。その次にはさらに良いものをと、作る手を止めなかったのだと、その方は教えてくれたわ」
水月のつまみ簪は、一部の骨董好きには有名な品なんだ。細工が細かくて美しくて。まるで本物の花のようだと評されているらしい。
名匠と謳われた人の手仕事というだけでも価値が高いけれど、水月のつまみ簪は幻と言われるほど貴重で、売りに出ることはほとんどないんだ。
だって、それは、水月が特別な人に贈るために作ったものだから。
実は、俺の爺さんの爺さんが、水月の弟子だったらしい。ただ、どうにも不器用な男だったようで、水月の技を受け継ぐのは無理だったそうだ。
だから、水月の遺したかんざしを守ることにした。どんなに望まれても、お金を積まれても、決して売らず、大事に守り、代々、我が家が受け継いできたんだ。
キミは知っているかな。水月のつまみ簪には、必ず「月」という文字が描かれていることを。
ずっと、作者のサインなのだと思っていたけれど、そうじゃなかった。この「月」は、キミの、「佳月」のことだったんだ。
水月の特別な人。それは、キミなんだね。
150年も前に亡くなった水月とキミが、どこでどうやって出逢ったのかは知らない。いや、そんなこと信じられない。
けれど、この「月」は、やっぱりキミのことなんだろう。どうしてか、俺にはそう思えてならない。
だから、この水月の最期のつまみ簪は、キミが持っているべきだと思う。きっとこの日のために、キミにこれを渡すために、爺さんの爺さんの時代から、ずっと守ってきたんだと思うから。
「姫さま、これが、そのかんざしなのですね」
「えぇ。ほら、ここに」
「あ、本当に、月と書いてあります! 姫さまのお名前ですね」
「水月さまのお名前でもあるわ」
「月が、姫さまとかのお方を繋いでいるのですね。今も、こうして」
「私ね、月魄。水月さまと過ごした日々は、夢だったんじゃないかと思ったの」
「どうして、ですか?」
「地の国に、再び落ちてきて。でも、水月さまはもういなくて。風景も、何もかも、私が知っている地の国とは違っていて。だからね、あれはすべて夢だったんじゃないかって」
「姫さま…」
「でも、このかんざしが、水月さまと過ごした日はたしかにあったのだと、信じさせてくれた。私の想いも、幻ではなかったと。だから、私はこれからも…」
今夜も、キミは月を見上げている。満ちては欠ける月を。そして、俺は…。
月見ル君想フ。
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